その他

森翔吾の人生と運命

更新日:

僕の約30年ちょいの人生を紹介します。

 

小学生の時の親友は、ベトナム人のグエン君

今はもう会ってないんですが
小学生の時に「
グエン」という
ベトナム人の親友がいました。

ちなみに彼は日本での生活が長く
日本人と同じように流暢な
日本語を話しました。

さらに、

約20年経った今、当時を思い返してみれば
彼はベトナム戦争後の難民だったのかもしれません。

というのも、

やけに大人っぽく、常に物事を俯瞰して見ており
すごく頭も良くて、考え方もユニークだったりと
小学生だった僕は子供ながらに、

「グエンは天才だな。」

と思っていたほどです。

ベトナムで何か大変な事を経験して
日本へ来たのかもしれません。

現在は全く付き合いは無いので
聞くすべは無いのですが
今でも会いたいなと思わせてくれる
魅力的な親友でした。

そして、

約20年後に彼のルーツを知りたいなと思い
ベトナムを訪れたんですが、この旅で
偶然一人旅をしていたロシア人の彼女に出会いました。

 

 

海外への憧れは昔から?中学生時代の版画が、それを物語る

最近、実家に置いてある荷物を
整理していた時の話なんですが、

実家で自分の荷物を整理してました。

子供の頃によく遊んだドラゴンボールのカードや人形
ミニ四駆などのおもちゃを捨てるべく
ゴミ袋へ
入れていたんですが
引き出しの中から思わぬ物が出てきました。

何かと言うと、

中学校の時に作った版画でした。

一本だけ上に伸ばした人差し指の上に
地球が描かれた
イラストと
下に書いてある「
3-1 森翔吾」。

こんな作品を作った事は全く覚えていなかったし
当時、海外への憧れは全く無かったと思うんですが...

そのため、これを見た瞬間
かなりビックリしましたね。

恐らく、

中学3年生の時の作品だと思うのだが
この時から、今の海外志向を表現していたとは...

ちなみに、

描かれた地球に関して、日本が真ん中に無いという事と
どこの大陸か良く分からない事が
とてもユニークだなと
我ながら感心してしまいました。笑

 

 

高校卒業と同時に、親の車で勝手に東北まで2,000kmの旅へ

高校の卒業間際に、車の免許を取得しました。

そして、高校の卒業と同時に

「1週間車を借ります。どこか遠くへ行ってきます。」

こんな置き手紙を残し、親の車を勝手に借りて
真夜中に
実家を飛び出しました。

この時は、

実家がある愛知県から山形県の銀山温泉へ行き
東京を通って、1週間で約2,000kmの旅をしました。

かれこれ15年近く前の話なんですが
親に話を聞くと
突然でかなりびっくりしたよ
と言われました。

確かに、

親の都合も考えず、勝手に一週間も車を借りるなんて...

今、考えたら相当自分勝手な行動だと思ってしまいます。笑

ただ、

サラリーマンを辞めて随分経った今は
その時の気持ちが、良く理解できる気がします。

そして、あの頃の無邪気さとか冒険心は
大切かもしれないなと今になって実感しています。

 

 

カナダへのワーホリは正直、大失敗に終わった

20歳の時に、ワーキングホリデーで
カナダのバンクーバーへ行きました。

「ってことは英語ペラペラですか?」

と聞かれそうですが、

英語を全く勉強せずに、日本人の友人とばかり
つるんでいたせいで1年経っても
全く英語が喋れるようにならず

「何のために、カナダへ行ったの?」

と、友達によく馬鹿にされました。

僕にとって、これはかなり恥ずかしい黒歴史で
就職する際も、本当に言い訳に困りましたね。

今だから言える事なんですが
サラリーマン時代に受けた
TOEICのテストは
なんと300点代だったんですね...笑

ヤバイですよね?

これは普通の高校生よりも、酷いかもしれません。

あまりに恥ずかしすぎて、親友にさえにも
話した事なかったんですが
今となっては
いい思い出と言えます。笑

 

 

はじめて就職した会社は、ブラック企業

22歳の時に、東京の会社に就職しました。

その会社は、広告の印刷業がメインで
毎日15時間くらいも働きました。

また、ほとんどの土曜や祝日も休日出勤していました。

さらに、サラリーマン1年目で東京の通勤ラッシュの
凄さも思い知りましたね。

今思えば、ブラック企業なのは間違いないんですが
当時の僕には、転職や辞めると言った考えは
全く無かったので
当たり前のように
重労働をこなしていました。

本当、よくあんなに働けたなと思いますね。

結局2年くらいでこの会社を辞めたんですが
有給を1日も使えないという酷い会社でした。

 

あまり、海外旅行へ行かなかったサラリーマン時代

サラリーマンをしていて、一度だけ転職しました。

たまたま同じ時期に採用された、同僚に

「ねえ、一緒に仕事辞めない?」

と誘われたからです。

ちなみに、

その同僚の親は都内にある会社を経営していて
彼は役員に入っているので、辞めたからと言って
生活に困ることはありませんでした。

逆に僕は上京してき身なので、辞めたら
食いっぱぐれる可能性があった訳です。

今思えば、

よくこんな簡単な誘いに乗ったなと思いますが
当時の僕は、まだ20台前半と若かったから
かもしれません。

その後、すぐに別の会社へ転職したのんですが
その会社は最初のブラック企業に比べ
真逆で天国の様にいい会社でした。

とはいっても、

やはりサラリーマンということには変わりはなく
海外旅行へは、台湾や中国などの近場に
年1回行ければ良い方でしたね。

欧米への旅行に関しては、

6年目に一度だけNYとマイアミへ行けた
たった1回だけでした。

今だから言えることかもしれませんが、

旅好きの僕にとって、サラリーマンは相当窮屈
だったよなと感じます。

毎日、当たり前のように同じ場所、同じデスクで
仕事をしなくてはいけないなんて
今となってはあり得ないです...

 

 

8年間のサラリーマン生活とのお別れ

サラリーマンを辞めようと思って
実際に辞めるまでに
結局3年くらいかかりました。

最初の頃は社長に引き止められたり
会社を辞めても
やることが無かったため
結局は留まってしまっていたんですが、

毎日変化がない、平凡な生活に
だんだん決意が固まってきました。

そんなある日、仲が良かった知人から

「一緒にビジネスを始めない?」

と誘われたんですね。

内容はジュエリーのネットショップを立ち上げる
ということだったんですが
結局これを口実に会社を辞める事に成功しました。

とはいっても、

ビジネス未経験者の2人ということもあり
結果は散々で、全く利益を上げる事無く
ケンカ別れの
様な形で、僕の最初のビジネスは
大失敗に終わりました。

正直、かなり中途半端な気持ちで会社を辞めた
ということもあって、その後は不安な気持ちに襲われ

「この先どうしよう...」

と会社を辞めたことを凄く後悔しました。

 

 

30歳になり、フィリピンで英語をマジメに勉強

サラリーマンを辞めたすぐ後は、
全く使っていなかった
有給消化期間の給料が貰えたり
失業保険などのお陰で多少のお金が手元にありました。

その為、 僕が一番コンプレックスを感じていた

「カナダに留学したのに英語が話せない。」

という事を何とか克服しようと思い
もう一度、海外へ英語留学することに決めました。

とは言っても、

欧米に留学するほどのお金は無く
期間に関してもせいぜい3ヶ月くらいが限度だと感じ
結果的に、安く英語を学べる、フィリピンへ
行くことに決めました。

フィリピンのマニラからバスで北に4時間走った
ターラックという小さな街の近くにある学校で
英語を勉強したんですが正直
この3ヶ月はかなりハードでしたね。

というのも、

朝8時から夕方5時まで、英語漬けで
休憩を除いて
一日に6時間も英語の授業を受けたんです。

本当、

「脳みそが汗をかく」

と言う言葉がピッタリな感じでした。

とは言ってもこの感覚はすごく久々で
慣れてきたら、逆に
凄く快感に感じられました。笑

同時に、サラリーマン時代はほとんど頭を使って
いなかった事を実感しました。

そして、この3ヶ月で何とか

英語が全く喋れない状態から
   ↓
旅行は困らないくらいの英語力

程度には成長することができました。

この3ヶ月の頑張りが、今後の人生を
大きく変える事なるんですが
当時は全く知る由もありませんでした。

 

大好きだった「買い物」が自然と起業につなった

フィリピンから帰ってきた僕は
貯金が底を付き始めたのでとりあえず
愛知県にある実家に戻ることにしました。

本当は東京にずっといたかったんですが
仕方なく実家に帰ったんです。

ですが、

10年ぶりの実家の生活はかなり快適に感じました。

家賃はかからないし、食事や洗濯は全部
母親がやってくれるし。

最初の頃はこんなニートライフを満喫していたんですが
流石にこのままではマズイなと危機感を感じ
次にやることを、色々探し始めます。

ちなみに、

起業をすると言って会社を辞めた手前
さすがにサラリーマンに戻るという選択肢は
全くもってありませんでした。

無いと言うか、ダサすぎて死んでも
「戻りたいです!」とは言えなかった
と言ったほうが正しいかもしれません...

そして、

何を始めようかと、最初に思い浮かんだのは
FXや株、アフィリエイトなどの
副業系ビジネスでした。

ただ、FXはサラリーマン時代に遊び半分でやって
数十万を損して、結局辞めた経緯があったので
最初からパスといった感じでした。

アフィリエイトに関しても、何となく
2~3ヶ月で結果を出すのは難しいだろうな
というのは頭にあったので、

サラリーマン時代に副業としてやるなら良いんですが
無職の今はさすがに、時間がかかるのは辛いなと
感じていました。

そんなこんなで何をしようか探していたある日
「せどり」というビジネスに行き当たりました。

「せどり」または「転売」とも言いますが
これは何かというと、

例えば、

ブックオフで100円で仕入れた本を
Amazonなどで1000円とか高値で売る
といった価格差で儲けるビジネスです。

そして、どうやら本以外にも
CDや家電などがあることを知ります。

そもそも「せどり」を知ったきっかけはというと、

たまたまどこかの通販サイトで新品のカメラが
相場の
6割くらいの値段で売られていたんですね。

その時、

「これは、売れば儲かるのでは?」

という疑問から「せどり」というビジネスモデル
を知るきっかけになった訳です。

と、こんな感じの完全になんちゃっての状態から
僕の「起業家人生」が
スタートしました。

 

 

『せどり』で消耗→『輸入転売』に切り替え

頑張って、せどりを一年間くらい続けていんですが
正直に言うと、人の目を気にする僕には
かなりキツかったです。

この頃のせどりのスタイルは、

・ホームセンター
・ショッピングモール
・スーパー
・雑貨店

などの実店舗をひたすら回って、買ってきた商品を
Amazonで販売するといった流れでした。

実店舗のせどりって、人によっては
店員さんから注意を受けたり、最悪の場合は
店側から出禁をくらったりする人もいたくらいです。

僕は、かなり店員の目を気にしていたため
上で上げた様な経験は一度も無いのんですが
その分かなり神経がすり減ったのは
間違いなかったと思います。

そのため、

だんだんやる気が無くなり
次第に店舗回りをサボるようになり...

と、かなり限界が来ていたのを感じ
この時もまた「せどり」を見つけた時と同様に
別のビジネスを模索しはじめました。

そして出会ったのが「輸入転売」でした。

他にも通称、

「Amazon輸入」「輸入ビジネス」

とも言われています。

ちなみに輸入転売とは、せどりの仕入先が海外になっただけで
売る場所は基本的に日本のAmazonで変わりないです。

その為、

ビジネスとしてはあまり変化が少ない割に
何より凄く苦痛だった店舗回りをしなくてもいいので
思い切って一気に切り替えました。

結果的にこの決断が、良い方向に進み
法人化するまでに成長することができました。

また、このAmazon輸入転売では
約1年前にフィリピンで
必死に学んだ英語力が
かなり生きました。

英語力と言っても、

旅行で困らない程度しか話せないんですが
商品を輸入する「お客様」という
立場だけあって、

アメリカ人や中国人、メキシコ人、ユダヤ人等の取引先の人は
ゆっくり英語を話してくれたり、とても親切な対応をしてくれた
ということがけっこう大きかったと思います。

ちなみに、

このAmazon輸入を初めてから半年後くらいに
取引先に会いに、アメリカ出張へ
行ったんですが
この出張は、今までの人生の中でもダントツに一番楽しく
さらに一番成長を
感じられた海外滞在となりました。

それは何故かというと、

取引祭の人達がみんなフレンドリーだったり
一緒に食事をしたり、クラブで踊ったり
ケネディが暗殺された博物館を案内してくれたり

などなど、とにかく凄く濃い2週間のアメリカ滞在でした。

もちろん、

遊びだけでなく、取引先との交渉もかなりうまく行きました。

一応、さすがに仕事というだけり必死に脳みそを
今までに無いくらいフル回転させていた
だけあって
この出張で僕の英語力はかなりレベルアップした
と感じます。

レベルアップと言うよりも、

「自信が付き、勇気を持って話せるようになった。」

という方が正しいかもしれません。




メールアドレス*

-その他

Copyright© 海外生活を叶えるための「リスク回避」起業術 , 2018 All Rights Reserved.